代表挨拶

初めまして、「チャットレディ ニャンごろ」代表の嶋村です。

このページを読んでいただいているということは「チャットレディのお仕事にチャレンジしてみようかな…と考えている」「ニャンごろってどんな人がやっているの?」と思われているかも、しれませんね。

もし、あなたが「今の生活に不安を持っている、このコロナ禍でお金もない仕事もないこの生活がいつまで続くのか不安」と思っており、その状況から抜け出したいと考えているのであれば、ぜひ最後まで読んでください。

まず、チャットレディというお仕事がどれだけ安心できるお仕事であるかということを知っていただき、私がなぜこのニャンごろを立ち上げようと思ったのか、ぜひ知ってほしいです。

そのうえで自分の理想のお仕事としてチャットレディの仕事に取り組んで行ってもらえたらと思っています。

 

ニャンごろの由来

まずニャンごろの由来は...当たり前のことですが、猫も人間同様に個別性があり1匹1匹表情も違えば性格、好みも全く違います。そして、甘え方も様々で、一番に甘えたい子、ツンツンしているけど本当はやきもち焼き、みんながいなくなってからこっそり膝の上をゲットしてウットリしている子…ニャンコがゴロゴロ喉を鳴らして、うっとりしている姿はいつまで見ていても飽きません。

そして、みなさん猫も演技や芸をするのを知っていますか??

自分より体の大きい猫の傍を通り、擦れ違いざまにあたかも自分が攻撃されたような大きな声で鳴きながら猫パンチを一発お見舞いして逃げてみたり...どうしても抱っこをしてほしくてしがみついてもダメな時に、具合の悪いふりをしてみたり(笑)

おやつが欲しい猫は、お手、ちょうだい、お願い、顔タッチ…おやつの為ならありとあらゆる、自分に出来る最高の芸を披露します。

 

猫も人間と同じ、個性や芸は自分が生きていく、食べていくための必需品なのです。

そこでふと思ったのは、チャットレディのお仕事と猫って似ているよなと(勝手な妄想です)...自分の個性をそのまま生かしても良し、普段の自分とは全く違う自分になりきって甘えてみても良し、ツンデレを演じてみても良し、その時のお客様に合わせてなりきりキャラを演じても良し、その結果が収入として入ってくる。

私は、ニャンコのようにいつまで見ていても飽きない話していても飽きない何回でも逢いに来たくなるような、そんな方がたくさん集う最高の場所にしたくて「ニャンごろ」という名前を付けました。

プロフィール

私は北海道出身で、北海道の中でも漁業の発達と馬の牧場が多くサラブレッドの生産地に生まれ地元の看護学校を卒業しその後もずっと地元に住み看護師として働いていました。

しかし、当時付き合っていた方が病気で両目の眼底出血・網膜剥離で殆ど目が見えなくなってしまったため、一人にはしておけないと思い、10年間働いた仕事を退職し、その方の住む町へ移住してきました。

移住後は、身の回りの世話や不定期な病院受診の介助、元々飼われていた猫の世話、など色々手伝いながら過ごし、まだかろうじて視力のある方の目で仕事もしていたし、私の趣味が貯金でしたので、急いで就職しなくても支障はなく、共通の趣味のボウリングを楽しんだり、新たに猫を飼ったり二人の生活を楽しんでいました。

その頃は、この街も17万都市と言われ、人口が17万人いて北海道でも3番以内に入る人口の都市でしたので、駅に行っても人が溢れていました。

新しく出来たショッピングセンターでは歌手を呼んでイベントを行うと人で埋め尽くされるほどでした。

近くの公園でも子供が沢山遊んでいる、かと言って少し車を走らせると湖があり自然豊かな場所ですす。

田舎から来た私にとっては、札幌に行くのと同じくらい都会に来た気分でした。

数年の時が流れ、猫の数も増え、義母と同居する事になり、一軒家へ引っ越しをしてそろそろ籍を入れようかと話していたころ...

だんなさんにが見つかりました。

しかも、スキルス性の悪性腫瘍ですでに転移しており余命三ヶ月の宣告を受けたのです。

まさに青天の霹靂とはこの事か、と思いました。

幸いなことに、先進医療での治療と、本人の努力の甲斐もあってあれから6年何度も余命宣告を受けながらも、努力を欠かさず楽しい生活を送ると前向きに生きています。

しかし、昨年の8月には小脳の脳梗塞を発症しました。

ろれつが回らなく、顔面神経麻痺に右半身の片麻痺という症状が出現しこのままでは一人で歩くことも出来ずに車イスでの生活が目に見えていました。

次から次へと襲いかかる試練に、何故私達ばかりなのか??と神様に文句の1つも言いたくなりました。

 

 

血栓を溶かす治療やリハビリに励み通常は1年は会話ができるようになるまでかかるのですが、だんなさんは4カ月で普通の人と変わらない位の会話ができるようになり、ボウリングにも復帰しました。

しかし、血栓が出来ないように治療の継続が必要で、加えて抗がん剤治療もある為、貯金は底をつきかけてしまいました。

私は看護師をしていた時は、病棟勤務ののち訪問看護ステーションで勤務していたので、看護師の求人などはいつもチェックしていました。

しかし、義母が認知症を発症し、転倒の末寝たきりになってしまい介護(三食食事介助におむつ交換)が必要な状況なのと、だんさんの看護があるので外に出て働くことができません。

また、例え外に働きに出られる状況だったとしても、移り住んできた当時と今のこの街の状況はすっかり変わってしまい看護師以外の職で働く場合、どこで働けばよいのかと思うほど戸惑うほどです。

17万人半ばいた人口はこの約10年で16万人台に減りました。

街の活性の中心であった駅前は大きな商業施設は軒並み撤退、新しいディスカウントショップが入った側の出口はかろうじて買い物客が来ていますが、その駅の反対側は閑散としておりほとんどシャッターが下りている状況です。また、少し離れたところにある飲み屋街や飲食店街は10年前は人で溢れていた記憶しかないのに、今は昼間も夜も殆ど人が歩いていません。これはコロナウイルスが蔓延する前からその状況で、町興しの事業の一環として様々なイベントを催しているのは知っています。

しかし、中々人口減少には歯止めがかからない状況にあります。

その中での問題は、やはり北海道は東京や神奈川といった首都圏に比べると「最低賃金が安い」ということです。

私がこの街に来た当初の北海道の最低賃金は734円程、東京の最低賃金は868円。昨年度の最低賃金は北海道は889円、東京は1041円と差は開くばかりです。

これでは大都市への人口の流出は減りません。また、特に今はコロナ禍で繰り返し時短営業を強いられるお店も多い中で、正社員で仕事を続けることの難しさや、アルバイトや契約社員も働ける時間が激減してしまい収入がガタ落ち、食べるのにも苦労している...という人が多いのではないかと思います。

一般的な正社員の給料は180,000円~220,000円、様々な物の物価が上昇している昨今では一人暮らしをしていくのもやっとという金額ではないでしょうか。

ましてや、女性の平均収入は男性よりも圧倒的に低く地域による差も見事なものです。

そして、ここにいるよりも都会に出て働いた方が稼げるのではと、都会を目指す若い女性は後を絶ちません。

しかし、移住したはいいけどやりたいこともできず、中々お金が稼げず最終的に行き着く場所は夜の街…ナイトワークですね。

この街でも確かに、一般的な職種よりもナイトワークの方が給料は高いでしょう(都会に比べれば雀の涙ほどでしょうが)。

しかし、今はその夜の営業こそが都会でもこの街でもコロナによる大打撃を受け、営業を辞める店舗も多く見受けられ、ナイトワークで稼ぎたくてもそもそも働く場所がない状況です。

その為、都会に行く事も出きず仕方なく近くで安い給料でアルバイトをしたり、今話題のスマホ一台でできる副業を始めてみたりしている女性も多くみられるという状況が、私がここ数年この街を見てきて感じている事です。

兎にも角にも何か行動しなければと思い、家にいても私でも出来る仕事を探してみようと色々とネットでリサーチする中で、ライバーという仕事がある事、それをサポートするプロダクションという仕事がある事を知りました。

そして、大手ライブチャットサイトでNO.1を獲得したことのある女性に知り合いました。

 

私は、YouTube以外に動画を配信しているサービスがある事を知りませんでした。

しかし、その女性のお話を聞く中で、17LiveやSHOWROOMといった「ライブ動画配信サービス」や「ライブチャット」という仕事があることを知りました。

「ライブ動画配信サービス」をリサーチする中で分かったことは、ライブ動画配信サービスは今では当たり前のように利用されており売り上げを伸ばしている市場で、このコロナウイルスが終息する兆しがまだ見えてこない中では、個人で生配信をして収入を得ていくこのビジネスモデルは今後も成長を続けていくに違いないということです。

また、「ライブチャット」ついてリサーチを進めていく中で分かったのは、チャットレディのお仕事は他の仕事やアルバイトに比べ時給も高く稼ぎやすい職種であり(看護師のパート時給より高給)、個人でも始める事ができパソコンやスマホがあれば家に居ながらにして稼ぐ事ができ、ナイトワークの様にお酒を飲んだり体を酷使しすることも無く、自分が働きたいと思う好きな時間に好きなだけ働き稼ぐ事が可能な、この時代にぴったりの女性の働き口だと言うことです。

ただ、このチャットレディのお仕事は一人でも始める事は可能ですが、一時は大きく稼げてもそれが続くと過信して工夫をしないでいると、稼ぐことはできなくなってしまいます。

だからこそ、プロダクションのサポートを受け、二人三脚で一緒にお仕事を進めていく事が必要なのです。

私は、病院内で看護師をしている時は患者さんが少しでも早く退院し元の生活に戻れるようにサポートしたり、訪問看護でも少しでも利用者さんやご家族が安心して長く自宅で生活出来るようにサポートするということを仕事のメインとして働いてきたので、後ろでバックアップしたりサポートするこのプロダクションという仕事は私に合っているのではないかと思いました。

そして、私が出会った元NO1の女性は、「貧困女性の救済」という理念をかかげ、少しでも困っている女性を助けたいと話しており、私はそのお話に共感を覚え、私もプロダクションを立ち上げて女性達を助けたい、サポーターしていきたいと強く思い今回このプロダクションを立ち上げました。

 

 

 

 

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